古書画の勉強  

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〜 勉 強 項 目 〜
骨董用語     本紙・表具     画  題     書  体
画家用語     日本画派閥     禅宗宗派歴代管長


画家用語について

画所(えどころ) 一般には宮廷の画所だけのように思われていましたが、
宮廷、寺院、神社、幕府の四種類があって、
この画所の長官を別当、又は長者とよび、
その下に画師と呼ばれる専門画家がいた。
法印・法眼・法橋 学徳すぐれた僧に宮廷から与えられた僧位。
のちに僧正、僧キ、律師に相当した。
室町時代になると俗人の画家でも形式だけ僧籍に入って僧位を獲得し、
江戸時代も同様で、後にはこの位が画家の身分上の階級位になったが、
この階級位は、明治6年(1873)に廃止された。
奥 絵 師 狩野探幽が元和元年(1621)に京都から
江戸に移って徳川幕府の御用絵師になり、
つづいて弟の尚信も幕府につかえて、
鍛治橋・中橋・木挽町に邸をあたえられ、狩野三家が生れ、
更に常信の次男峯信が浜町に分家して
四家となり、幕府より一定の扶持を貰った。
一番格式の高い御用絵師で、狩野探幽などは
当時二百石後に三百三十石の待遇をうけた。
表 絵 師 やはり徳川幕府の御用絵師で、狩野家奥絵師の一族や
門人が独立して一家をかまえ、御家人格二十人扶持で、
奥絵師よりは一段低い格式だった。
駿河台狩野家を筆頭に、山下・深川水場・御徒士町・麻布一本松・
神田松永町・芝愛宕下・根岸御行松・築地小田原・金杉片町・
猿屋町代地・分家・本所緑町・稲荷町・勝田の十五狩野家だった。
帝室技芸員 帝室(宮中)の御用をはたすための専属美術家のことで、
ずっと昔の宮廷画家、院の画家、禁裡御用画家などと呼ばれた人々と同様。
明治23年(1890)10月に初めて美術家に設けられた。
昭和19年以降は発令されていません。
帝室技芸員
拝命者名
(日本画家)
田崎草雲・森寛斎・柴田是真・狩野永悳・守住貫魚・橋本雅邦・
野口遊谷・滝和亭・幸野楳嶺・山名貫義・川端玉章・荒木寛畝・
熊谷直彦・望月玉泉・今尾景年・野口小蘋・寺崎広業・富岡鉄斎・山本春挙・
小堀鞆音・下村観山・竹内栖鳳・川合玉堂・横山大観・橋本関雪・安田靭彦・
菊池契月・小室翠雲・上村松園・松林桂月・鏑木清方・西山翠峰・小林古径・
前田青邨・堂本印象・岸竹堂
帝国美術院 明治40年(1907)文部省が設けた美術審査委員会に始まり、
大正8年(1919)に内閣より発令されて新たに出来たもの。
文部大臣の管理に属し、官制による展覧会や美術研究所を置き、
美術の発達を目的とした団体で、帝国美術院の院長及び会員は
勅任官の待遇をうけ、文部大臣の奏請により、
内閣より命ぜられた美術家の方々だった。
帝国芸術院 帝国美術院からひきつづき昭和12年(1937)に、文部大臣の管理に属し、
芸術の発達を図り、文化向上に資する目的でつくられた。
第一部(美術部門)、第二部(文芸部門)、第三部(音楽・演劇・舞踊)の三部。
第一部門に日本画・洋画・彫塑・工芸の外にこの時より、書・建築の二科ふえた。
第二部門は小説戯曲・詩歌・評論翻訳。
第三部門は音楽(邦楽・洋楽・雅楽・能楽)・演劇・舞踊。
会員の定員は美術部50名、文芸部30名、芸能部20名の100名以内で、
昭和22年(1947)までつづいた。
日本芸術院 帝国芸術院よりひきつづき政令をもって、昭和22年12月4日改名。
院令第一条に、「日本美術院は芸術上の
功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関とする」
とあるように、会員に推挙されば者は、
斯道の最高の栄誉を与えられたことになる。
昭和36年(1961)6月6日、日本芸術院の会員が増員され、
美術部56名、文芸37名、芸能27名の120名以内の定員改正になった。
文化勲章 昭和12年(1937)2月11日に公布された文化勲章令にもとづいて、
毎年1回特に優れた日本文化の発達に大きな功績のあった文化功績者
(学問・芸術・芸能)に授与される勲章。(日本の最高の栄誉)
年金とともに毎年11月3日文化の日に授章されます。
文化功労者 年金法にもとづいて、文化の発達に貢献した功労者にたいし年金が贈られ、
毎年11月中に顕彰されます。

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日本画派閥について

【土佐派】
 大和絵を職とする家系。平安時代以来の伝統であるが、画職を専らとするに至ったのは吉野時代以後で、その頃から朝廷の絵所の長官たる預を世襲して、大和絵の中心的家系となり、後世大和絵を直ちに土佐派と称するに至った。
しかし厳密には、室町時代に漢画の影響を受けて一種の遒勁な趣を加えた後の土佐派の画風を土佐派という。
土佐派の画家中、最も傑出した光長・光信・光起の三人を土佐三筆といい大和絵土佐派を代表する三名家。

【住吉派】
 大和絵の一派。土佐派の分派。江戸初期の住吉具慶を祖とし優雅繊麗を特色とする。
具慶は幕府の絵師となり、法眼、狩野派に雁行、江戸大和絵の本拠をなした。宝永二年没。
住吉派門人に、山名貫義・松岡映丘・津端道彦・橋本明治・山口蓬春・杉山寧などがいる。

【狩野派】
 狩野正信を祖とし、その子元信が和漢諸流を綜合して狩野派の典型を確立、江戸時代に探幽出でて画壇に重きをなす。
宗家を中橋狩野といい、分家の鍜治橋・木挽町をあわせて狩野三家と称。また別に狩野山楽の家を京狩野家という。
狩野派(木挽町狩野)門人に、橋本雅邦・菱田春草・下村観山・横山大観・川合玉堂・寺崎広業などがいる。

【容齋派】
 菊池容齋を祖とする。容齋は狩野派を基礎としあらゆる古今諸派の画蹟を探求し、更に早くより西洋画法をも研究した。然るに洋画法をよく融和し巧みに和画に応用した。門人に示した画意十五則があるが、それは実に容齋派の容齋派たる源泉であって、各自新機軸を出させ、更にその門人に新機軸を出させ師風を墨守する事の不可は問わない、とされている。
その大意は流派に拘泥せず、自ら工夫して新しい何かを発見し、粉本は古代風俗の参考のみ、町絵師は筆力なく、写生派は生気なし、画は人物を本とし須く皇国の英傑を描くべし。画を作るには書筆を用ふべし。など
門人に松本楓湖・高橋廣湖・今村興宗・今村紫紅・渡邊省亭・中島亨齋・鈴木華邨・尾形月耕・梶田半古などがいる。

【円山派】
 円山応挙を祖とする。写生的画風と西洋画の遠近法を研究し特色とする。
門人に 源g・長沢蘆雪・山口素絢・奥文鳴・吉村孝敬・森徹山・山跡鶴嶺・木下応寿・福知白瑛・亀岡規礼を応挙門の十哲という。
他に円山派では
松村呉春・皆川淇園・中島来章・幸野楳嶺・川端玉章・菱田春草・平福百穂・木村武山・結城素明・杉山寧・東山魁夷など、
円山派Uでは
渡辺南岳・大西椿年・森寛斉・山元春挙・上田萬秋・土田麦僊・小杉放庵など、
四条円山派は
竹内栖鳳・福田平八郎・橋本関雪・西山翠嶂・堂本印象 など

【文晁派】
 谷文晁を祖とする。大和絵を能くすると共に、洋画の法も学び画風を工夫して江戸文人画壇の重鎮となった。
南北合派、渡辺崋山や田能村竹田の南画文人画派などに分かれる。
門下に 立原杏所・高久靄崖・金子金陵・高芙蓉・大西椿年・田崎草雲・春木南溟・荒木寛畝・岡田半江・滝和亭などがいる。

【歌川派(浮世絵系)】

 寛文頃、菱川師宣によって大成された風俗画の一流派。遊女・芸妓・俳優・武者の似顔絵や遊里・演劇・美人を描いた。
その様式に肉筆と版画がもてはやされ、世界的にも著名。
作家として、鳥居清忠・西川祐信・喜多川歌麿・安藤広重・歌川豊国・葛飾北斎・五姓田芳柳・河鍋暁斉・水野年方・鏑木清方・荒井寛方・池田輝方・伊東深水 などがいる。 

 

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禅宗宗派歴代管長一覧

南禅寺派管長
開山 無関普門 むかんふもん 建暦2〜正応4
初代 少林梅嶺 しょうりんばいれい 明治17〜
2代 勝峰大徹 かつみねだいてつ 明治20〜
3代 松山舜応 まつやましゅんおう 明治23〜明治29
4代 豊田毒湛 とよだどくたん 明治29〜明治42
5代 河野霧海 こうのむかい 明治42〜昭和3
6代 赤井義勇 あかいぎゆう 昭和3〜昭和8
7代 加藤至道 かとうしどう 昭和8〜昭和15
8代 嶋田菊僊 しまだきくせん 昭和15〜昭和34
9代 柴山全慶 しばやまぜんけい 昭和34〜昭和49
10代 勝平宗徹 かつひらそうてつ 昭和49〜昭和58
11代 塩沢大定 しおざわだいじょう 昭和59〜
12代 中村文峰 なかむら・ぶんぽう

建仁寺派管長
開山 明庵栄西 みょうあんえいさい 永治1〜健保3
初代 荊叟東王文 けいそうとうもん
2代 石窓紹球 せきそうじょうきゅう
3代 斎藤龍関 さいとうりゅうかん 明治22〜明治25
4代 竹田黙雷 たけだもくらい 明治25〜昭和5
5代 竹田穎川 たけだえいせん 昭和6〜昭和20
6代 中村泰祐 なかむらたいゆう 昭和21〜昭和29
7代 竹田益州 たけだえきしゅう 昭和29〜平成1
8代 湊 葆州 みなとほしゅう 平成1〜平成11
9代 小堀泰巌 こぼりたいがん 平成11〜


天龍寺派管長
開山 夢窓疎石 むそうそせき 建治5〜観応2
初代 由理滴水 ゆりてきすい 明治4〜明治24
2代 高木龍淵 たかぎりゅうえん 明治25〜明治30
3代 由理滴水 ゆりてきすい 明治30〜明治32
4代 橋本峨山 はしもとがざん 明治32〜明治33
5代 高木龍淵 たかぎりゅうえん 明治34〜大正2
6代 高木台嶽 たかぎだいがく 大正3〜大正11
7代 関精拙 せきせいせつ 大正11〜昭和20
8代 関牧翁 せきぼくおう 昭和21〜平成3
9代 平田精耕 ひらたせいこう 平成3〜


相国寺派管長
開山 春屋妙葩 しゅんおくみょうは 応長1〜嘉慶2
初代 荻野独園 おぎのどくおん 明治3〜明治28
2代 中原東岳 なかはらとうがく 明治28〜明治42
3代 橋本独山 はしもとどくざん 明治43〜昭和8
4代 山崎大耕 やまざきたいこう 昭和8〜昭和33
5代 大津櫪堂 おおつれきどう 昭和33〜昭和51
6代 梶谷宗忍 かじたにそうにん 昭和51〜平成7
7代 有馬ョ底 ありまらいてい 平成7〜



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